勅を奉るに請に依れ

助からないと思っても助かっている

論文という名の24364字の羅列について

急募!最後の「せざるを得ない」まで読む暇人!


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コピペしまくる気満々だったけど、結局ほとんど脳内から捻り出すことになった。疲れた。史料解釈については表現を拝借することもあったけど、そこからの考察はわりと自分の言葉で無理やり固めてみた。疲れた。


これは下書きで、ここから原稿用紙に手書きで清書するという謎の作業が待ち構えている。
「まずはその伝統をぶち殺す!」


下書きだから、史料は載せてないのです。それ用に調教され尽くした研究室のパソコンをもってしても、史料にあるよくわからない漢字を打つのはクソだるいから。そこらへんは手書きの恩恵を受けることができるっちゃできる。


下書きだから、ところどころ日本語がおかしいのです。単純に、語彙力と文章作成能力のなさが表れているともいう。どうでもいいけど、表れていると現れているって難しいよね。今でも普通に混乱するから困る。
「まずはその日本語をぶち殺す!」


いわゆる普通の学術論文では、先行研究をダラダラ整理することなんてやらないで、注釈に論文名を示して終わる感じなんだけど、これは先行研究の理解も含めたアレだからこうなのです。


まさかいないとは思うけど、読もうかなって人は2章から読むことをオススメします。1章は歴史的な用語のオンパレードなので。しかもその整理が下手なんだよね私。何かもう全体的にあれだから、各節の終わりらへんを読む感じがベストだと思います。


茶屋メンは歴史好きとして読んで欲しいな^^楽しいぞ^^


年明けからほとんど更新してなかったのは、この作業をやってた訳じゃなくて、単純にやる気が出なかったからです。ここ一週間は研究室に篭ったけど、その前はただ引きこもってただけ。別に何をしていたという訳でもない。


先週の火曜から書き始めたのはいくらなんでも遅すぎた。といっても、3年前期から準備が始まってたし、思ったよりはスムーズにいけた。いややっぱきつかったけど。


一週間という突貫作業は流石に無茶だった。論の展開の仕方が下手なのはともかく、せめてあと一週間あれば、もう少しまともで丁寧な日本語が書けたと思う。真面目にコツコツやってる人は、細微まで丁寧に造りこんだ京アニ作品のようなものを出してくるんだと思う。さしずめ私は…いや、やめておこう。


3年前期から卒論の準備ゼミがはじまるとか正直ありえん。「あそぶんがくぶ」じゃないのかよ。ついでに言うと、2年前期から半期ごとに3つのゼミを取らなくちゃいけないマゾ仕様。そのうち2つは、半期に1回史料を使った演習発表あり。「あそぶんがくぶ」じゃないのかよ。


発掘作業に駆り出される考古学もキツイ。文・法・経では、この2つの研究室がダントツにしんどいのは確定的に明らか。


卒論の準備を進めていく段階で、たいていの人は当初の目的とずれていく、つまり卒論のテーマが二転三転するらしいんだけど(別に悪いことじゃない。むしろそういう逡巡こそ必要なんだと思う)、私はかなりスムーズに、一本道で最後まで来れた。3年前期から卒論関係のゼミで6回演習発表する機会があったけど(多すぎワロタ)、そこで使った史料なんかをほとんどまるまる卒論に使えたのはでかい。流石俺様、帳尻あわせに関しては一日の長があるぜ。


出来に関しては言うまでもない。クソだ。何がクソかって、結局先行研究をなぞって、ほんの少し自分の意見を述べただけだからだ。こんなのは論文じゃなくて感想文。謙虚とか謙譲とかいう言葉が死ぬほど嫌いな私が言うんだから間違いない。伊藤喜良と富田正弘と小川信に今すぐ土下座して靴を舐めたい。いや、舐めさせてください。ありがとうございます。


といっても、分析する史料が同じだから、同じにならざるを得ないから、ある程度は仕方ないんだよね。そこらへんは教授陣も織り込み済み、いや諦めてるだろ。やっぱ昔と比べてレベル下がってるのかなぁ。学部生風情が取り組むようなテーマがもう存在しないようにも思えるけど、そんなことないんだろうなぁ。


精神修行の側面が大きいのは否めない。疲れた。


東大・京大生がどんなものを書いてるのか気になる。わりと真剣に気になる。


超ド級の変態揃いである(超褒め言葉東京大学史料編纂所の皆さんには頭が上がらないです。『大日本史料』っていう、現存する全ての史料を網羅した鬼のようなものを編纂しておられるのです。頭おかしいです。どのくらいすごいかがうまく説明できないくらいすごい。


七夕コマンドが発見される前に、手動抜きのアイマスMADを24時間分作るイメージ。もち一人で。これでもまだぬるいと思うんだけどなぁ。頭おかしいです。


何て言うか、


>当時の天皇家及び朝廷の観念的権威がどれほどのものであったかは、恥ずかしながら不見識であるが、やはり未だ相当なものがあったのだろう。その朝廷の支配機構に深く切り込んでいき、あたかも皇統乗っ取りを思わせるようなことを行った義満が、あと少し、もう五年ほど存命していれば、日本の歴史は大きく変わっていたのかもしれない。


って感じで、


>それにしても、国家体制を分析するという作業の何と難しいことか。武家と朝廷の関係というのは、中世から近世にかけて非常に重要な問題となるのであろうが、こと室町時代においては、幕府と朝廷が非常に近い位置にいることが、国家体制の解読を難解なものとしているように思う。両者を分析するためには、永い時と膨大な知識が必要であり、今更ながら歴史学の深遠さにたじろがざるを得ない。


そんな感じ。


室町幕府三代将軍足利義満ちゃんとちゅっちゅしたいよぉ~