勅を奉るに請に依れ

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よしみつよしみつコメント返信

応永初期における伝奏の政治的役割
論文という名の24364字の羅列について


あまりにまさかすぎるコメント@1年3ヶ月ぶり

1. Posted by Gくん 2010年04月11日 20:24

こんばんは!
いえ、はじめましてです。
ブログ主様の論考、興味深く拝読いたしました。
自己の基礎知識があいまいなため”おわりに”のところが少しわかりません。
富田氏と伊藤氏の立場が、どちらがどの立場に立っているのでしょうか!
佐藤進一説・永原慶二説と黒田俊雄説(いわゆる権門体制論)のところです。

私は、本論考を読むまでは、中世の朝廷権力は、南北朝末期義満によって武家権門(幕府)に吸収され、爾後朝廷は観念的権威はあるものの実質的権力は喪失し、形骸化したものと理解していました。


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せめて1年前なら、学術的なそれっぽい言葉を並べることができたけど、今、その質問に的確に答える術を私は持っていません。ごめんなさい。
という予防線を張ったうえで返信します。

>富田氏と伊藤氏の立場
伊藤=佐藤・永原
富田=黒田

一元的、二元的という言葉を使うべきではなかった。くそわかりにくい。
佐藤進一は、二元的国家を前提として、義満期に一元的国家が成立したという解釈。だと思う。多分。

当時の「公武」が、相対立していたか(二元的)、相互補完しあっていたか(一元的)、それが問題だ。

>朝廷は観念的権威はあるものの実質的権力は喪失
主だった論文を一通り読んだ感想としては、
「朝廷って幕府に寄生してる感じだけど、わりとやることはやってるんじゃね、幕府も朝廷頼ってるみたいなところあるし。まぁ幕府が弱ると同時に朝廷も息絶え絶えだから、とうの昔に政権担当能力なんて喪失してて、一元的とも二元的とも何とも言えない国家体制ぽい」

という感じで、「実質的権力」や「形骸化」の定義づけから始めないと結論は出ないと思う。

>義満によって武家権門(幕府)に吸収され
義満のときだけ最大瞬間風速というか、なぜ破壊せず吸収なのかとか、そもそも吸収ってどういうことなのかとか、義満がもうちょい生きてれば楽しかったのにとか、いろいろと尽きないです。本当に。


そんな感じです。